山岳ガイドになることは、山を始めた頃からの憧れでした。もともと、何か手に職をつけたいという希望があり、幸運にも登山を始めた頃から、プロのガイドさんたちとお知り合いになれたことが、私自身の人生を決める大きなきっかけとなりました。そして山岳ガイドとなった今、私のこれまでの経験と知識、技術が皆さんのお役に立てることはこの上ない喜びです。
ガイドという職業はその特殊性から、続ける以上は自分自身も登山に対し、生涯現役であることが大切だと考えます。もちろん私も皆さんと同じく、今でも登山を続けている現役のクライマーです。そのため皆さんから頂いた貴重なガイド料の一部は、私自身の山行やガイド研修の参加費に使い、そこで得た新たな喜びや技術を、再びガイディングの場で皆さんに提供する。この終わることのない喜びの連鎖で、私達お互いが幸せなときを分かち合うこと、これこそ私の考える理想であり、目指しているものです。
1968(S,43)年5月6日生まれ 神奈川県横須賀市出身
・(公社)日本山岳ガイド協会認定国際山岳ガイド
・国際山岳ガイド連盟(IFMGA)認定国際山岳ガイド
・ガイド・ジャパン・アルパイン・ガイド組合(JAGU)所属
・国立登山研修所講師
幼少の頃よりサッカーに親しみ、将来はプロのサッカー選手になることを夢に描いていたが、高校時代に挫折。その後21歳の時、通っていた大学の実習でアウトドアに触れ、大自然のすばらしさに感激。以後山に登るようになった。
初めての本格的な登山は同じく21歳の時。大胆にも北アルプスの北穂〜槍の縦走を企てた。大キレットの通過では、心臓が口から飛び出しそうなほど緊張。このときの感動、そして自分自身の命というものの実感。そこにこれまでに味わったことのない喜びを感じた。
その後間もなくプロガイドの故松井登氏や、同じく今はなき長谷川恒男氏の下で手伝いをしながらクライミングを学ぶようになった。松井氏からはクライミングの楽しさを、長谷川氏からはプロのガイドという職業を通し、初めて「本物」というものに触れ、山岳ガイドという職業に憧れを抱くようになった。
1991年秋、長谷川氏のU−TANクラブカラコルム登山隊に参加。師と仰ぐ長谷川氏や、兄のような存在だった星野氏の遭難死を経験。後の人生を決める出来事だった。
帰国後、社会人山岳会に入会し、クライミングに没頭。職業も、ビルの窓拭きから登山道整備の土方、山小屋の従業員まで経験。2001年春、鈴木昇己氏に誘われ、JAGU(ジャパン・アルパイン・ガイド組合)に入会。憧れの山岳ガイドとなった。
2004年1月、(社)日本山岳ガイド協会の職能変更試験に合格し、上級登攀ガイド(2011年現在、上級登攀は登攀ガイドに統一)になり現在に至る。
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