ALPINE GUIDE Tsutomu Sugisaka
アルパインガイド 杉坂 勉

山行記録集へ戻る
ヨセミテ・ノーズ登攀記録
2007年9月25日〜10月10日
アメリカ合衆国 カリフォルニア州 ヨセミテ国立公園
(YOSEMITE National Park California USA)
The Nose
Y 5.9C1or 5.8C2

 ヨセミテ通いも早3年。いよいよ満を持してノーズへと・・・と、いいたいところだか、はっきり言ってノーズは20才台の頃に登っていてしかるべきルートだ。それを今になってばたばたと登ることになった。それはまるで、子供が8月30日になってあわてて夏休みの宿題をやり始めたかのようなものだ。しかし、仮にもヨセミテを代表する大岩壁エルキャピタンの、しかも初登ルートとあっては、メンツがどうのなんていってる場合ではない。誰になんと言われようと、やっぱり登りたい!最近再び頭をもたげた自分の中のアルパイン志向に突き動かされて、これまたノーズを登ったことの無い同じJAGUの棚橋さんと意気投合。2人してこのルートに挑戦することとなった。

9月25日
 例によって膨大なギアをかかえ、日本を出発。このところどこの航空会社も太平洋線のオーバーチャージが厳しくなり、不覚にも成田で¥3,000のチャージ料を取られてしまった・・・。とまれ無事にチェックインを済ませ、一路サンフランシスコへ!今回の飛行機はノースウェスト。アメリカン航空と違い、機内のアルコールもタダなので、遠慮なく寝酒をいただくが、やはり飛行機の中では寝ることが出来なかった・・・。どなたか機内での快適な過ごし方を教えてください・・・。
 明けて、いや明けない、明けるどころか日本を出発した日と同じ、9月25日にサンフランシスコ着。日にちは明けていないが、体は既に徹夜明け状態・・・。ボーとした頭でサンフランシスコの空港を抜け、レンタカーセンターへ。手続きを済ませ、いざヨセミテ国立公園へ出発!!アメリカでの左ハンドル車運転もこれで3年目。都合100日くらいはハンドルを握っただろうか?しかもレンタルした車には、例によってナビも付いている。しかもしかも日本語を話すナビだ!もう右側通行もお手の物だ、と思いきや、やはり徹夜明け時差ボケの体で、いきなり運転は厳しく、レンタカーセンターからハイウェーに出るまでに、空港内をぐるぐるぐると3回も廻ってしまった・・・・。いったい何時になったらヨセミテへ着けることやら。それでもハイウェーに乗ってからは、順調そのもの。3回も通った道なので、迷うことなくヨセミテ直前の街まで辿り付いた。今日はここまで。

9月26日〜27日
 明けて翌日は、朝5時に宿を出発。6時30分頃にはキャンプ4に着くことができた。前に日本人らしき東洋人が並んでいるなーと思ったら、何と南裏さんだった。「あ!お久しぶりです!!」話を聞くと、どうやらスコーミッシュやら、トゥオラミやらと、いろいろと登りまくっているらしい。んーこれで楽しいキャンプ4生活が期待できそうだ!ところが、、である。8時過ぎまで並んでやっと受付が開始されたというのに、事もあろうに、僕達の直前で本日の受付が終わってしまった・・・。げげ、ここまで来てキャンプ4には入れないなんてーーーーー。仕方なくこの日は、大枚をはたき、他のキャンプ場へ移ったのだった。んー先が思いやられるぜー。こんな感じで我々のヨセミテ生活が始まった。

9月28日〜29日
 いよいよ今日から活動開始。まずはトレーニングということで、ワシントンコラムのサウスフェースへ向った。ここは去年も来たので馴染み深く、トレーニングにはもってこいだ。しかしビックウォール入門ルートで、人気ルートだけに、かなりの順番待ちを覚悟したが、行ってみるとほかに取り付いているパーティーは無く、のびのびとトレーニングすることができた。ラッキー!!初日は4P目まで登り、ロープをフィックス。ディナーレッジでの快適なビバークをこなし、翌日に8P目まで登り、ヨセミテのビックウォールの雰囲気とエイドクライミングの要領を確認した。
 しかし、去年と比べ今年のヨセミテはずいぶんと寒いなー。ビレイ中は体がぶるぶると震えてしまった。
      
ワシントンコラムへ向うアプローチ  サウスフェース1P目を登る   ディナーレッジでのビバーク風景  6P目ハング下のトラバース

9月30日〜10月1日
 ワシントンコラムから帰ると、ドット疲れが出てきてしまった。情けねー。この状態ではすぐにノーズに取り付くのはムリだということになり、2日間を休養日に当てることにした。
 休養といってもただダラダラしているわけにはいかない。ノーズでの食料買出しや、パッキング、ギアの整理と、雑用に追われてしまった。気が付けばこちらに来て早1週間。あっという間に時間が過ぎていく。
 棚橋さんと相談の結果、明日、下部4Pを登ってフィックスを張り、壁の中は3泊4日で抜ける計画にした。
                                                                    キャンプ4での生活風景 
      
  食事風景 でも今日は失敗 ・・・     それでも美味しく!!     ノーズに向け登攀準備中        今回の使用ギア

10月2日
 さあ、いよいよノーズ登攀開始。あさ7時にエルキャップベースに到着。きのう偵察の時に張っておいたフィーックスを使い、取り付きへと向った。ノーズはエルキャピタンのなかでも特に人気ルートで、クライマーが集中する。今日1番に取り付いてフィックスを張ってしまうことが、必修条件になる。しめしめ、今日はまだ誰も取り付いていない。予定通り僕らが1番に取り付くことが出来た。後は順調にロープを伸ばすだけだ。しかし取り付きから見上げるエルキャピタンはでかい!下部はスラブなので、その上に聳える上部壁は、まるで巨大な岩の塊が覆いかぶさるように見える。目の錯覚だと分かっていても、その錯覚はずっと続いたままだ。こりゃ苦労しそうだなーーー。
 きのうの相談の結果、今回は1ピッチづつ交代で、つるべで登ることにした。そして奇数ピッチは僕が、偶数ピッチは棚橋さんが受け持つこととなった。
 1P目、トポでは5,10dとあるが、スピードアップのため出来るだけフリーで行ってやろう!と思っていたが、目の前にあるのは、クラックというよりタダの浅いグルーブで、その中にあるフレアーしたピトンスカーをホールドにして登らなければならない!!んー崇高な理想ははやくも崩れ去り、出だしからピトンスカーにカムを突っ込んでのエイドクライミングになってしまった・・・。
 んー、かなり時間がかかるなー。まるで匍匐前進だ・・・。しかしノーズもそんなに甘くない。ところどころスラブになるため、そこはフリーで登るのだが、重いギアを背負った体では厳しく感じる。3P目の終了点近くと4Pの出だしでは、2人ともかなり苦労させられてしまった。それに、毎日9時を過ぎると西からの風が吹き荒れ、荷揚げ用のバックロープが引っ張られ重い。ビレイ中は、メインロープを確保するのと同時に、必死になってバックロープが風に持っていかれないように握っている。手を離せば、ロープは真横に吹っ飛んでいきそうだ!!
 それでも順調にロープをのばし、今日の目標地点シックルレッジには、午後2時にはたどり着いた。その後ビレイ点にギアをデポし、4ピッチ分のフィックスを張りながら下降した。
 明日は荷揚げをしながらシックルレッジまで登り返す予定だ。しかしこの荷揚げを明日に伸ばしたことが、後々重大な失敗を招くことになってしまうのだが、そんなことは、このときの我々には知る由も無かった・・・・。

10月3日
 翌日朝5時、ヘッデンを点けキャンプ4出発。一路フィックス下まで向う。3泊分の食料と水が詰まったホールバックがずっしりと重い。それでもノーズの取り付きは、車道から近いので、2人で交代で担ぎ、程なくフィックス下へ到着。いよいよ今日から壁の中での奮闘の始まりだ!
 ところが、である・・・。僕らのフィックスの隣にもう一本ロープがたれているではないか!しかもそのフィックスは長さが足りず、10メートル以上は地上から離れている??きのう僕らの後を誰かが登ってきていたのだろうが、その彼らは一体、どうやって下降したのだろう???そんな疑問を持ちながらユマーリングの準備をしていると、ロシア人らしき3人パーティーが上がってきた。隣のロープは彼らのものだった。そして彼らが言うには、きのう僕らの後を追ってシックルレッジまで登ったが、フィックスロープの長さが足りず、僕らのロープを使って下まで下りた。途中のアンカーでは、僕らのカラビナなで借りているというではないか・・・。そして自分達のロープまで届かないので、僕らのロープを使ってユマーリングさせろというではないか!!ここで情けをかけたのが、第二の間違いだった。
 とにかく準備をととのえ、ユマーリングを開始。50m登っては、荷揚げをする。これを4回繰り返し、シックルレッジに這い上がるのだが、さすがに3日分の水がつまったホールバックは重い!げげーこの調子じゃ、シックルレッジまでたどり着いた頃にはへとへとだぜ・・・。しかもその後、7ピッチ登らなければ、今日のビバーク予定地であるドルトタワーまでたどり着けない。フィックスを半分ほど辿ったところで時間が気になり始めた。しかも、僕らのロープを使ってのぼってきたはずのロシア人が割り込んできて、アンカーポイントは大混雑・・・。ユマーリングも荷揚げもなかなかはかどらないではないか!!シックルレッジまでたどり着いた時、時間はすでに11時をまわっていた・・・。
 半ば疲れきった体を引きずるように登攀の準備を整え、お互いロープを結び合った。さて、じゃあ行きますか、と前を向くと、ななんと!?すでに例のロシア人たちが登りだしているではないか!!!!!!タッチの差で先を行かれてしまった・・・。なんだよー、こいつらー、これがロシア流のやりかたなのかー。しかも彼らは3人パーティーだ。それから僕らが登り始めるまで、1時間は待たなければならなかった・・・・・・・・・・。
 その後、ロシア人たちの後を追うように登るが、すぐに追いついてしまい、ビレイポイントでひたすら待つことの繰り返し。しかも今日も風が強い。目を開けているのも間々ならないほどだ。そして3P登ったところで、とうとう日が暮れてしまった。僕らにはポーターレッジが無いので、このままではビレイポイントでハンギングビバークになってしまう。それにこのままずっとロシア人たちの後を追いかけて、待たされて、そして登って、またまたされるということの繰り返しが、“ノーズを登攀しているんだ!”という楽しみを半減させてしまうような気がする。何だか僕らの登攀を汚されているような気さえしてきた。仕方なく、7ピッチ登ったところにホールバックをデポし、フィックスを張りながらシックルレッジまで降りることにした。
10月4日
 翌朝は5時に起床。今日は是が非でもエルキャップタワーまで登らなければ、今回の登攀が危うくなってしまう。しかし下にはなにやらヘッドランプの明かりがちらちら見え始めた。「ちっ!今日もノーズは大混雑かー??」こっちも早く登り始めなければ!と思っていると、例のヘッドランプの明かりが、薄明かりの中をどんどん上がってくる。気が付くと上半身裸のひげ面の男が、ぬっと現れ、僕らの前を駆け抜けていった。「え!なんだ?・・・あ、フーバーだ!!ノーズのスピードアッセントに挑戦しているんだ!!」そう思った瞬間、カメラを取り出し、フォローしてくる兄のトーマスを撮りまっくってしまった!!そんな僕らには気にも留めず、彼らはあっという間にシックルレッジを駆け登り、振り子トラバースでストーブレッグクラックに取り付くと、やがて見えなくなってしまった。早いなー。リードで登っているほうも早いが、ユマーリングでフォローしているほうもめちゃくちゃ早い。あんなペースでユマールしたら、太ももがパンプしてしまうぜ・・・。
 その後、僕らも頭をがーんとぶっ叩かれたかのようにショックを受け、シックルレッジをあとにした。30分ほどできのうのデポ地点までたどり着き、登攀準備を整える。「おっしゃー、今日もやるぜー」フーバーたちを見た後なので、張り切るが、相変わらず遅い・・・・。ウサギと亀にたとえるなら、僕らは亀だな・・・・。ストーブレッグクラックをひたすら辿り、途中アメリカ人のパーティーの追いつく。これからは彼らと前後しらながら登ることになりそうだな。でも昨日のやつらよりは気さくで良さそうな人たちだ。登攀のスピードも速そうだ。そうこうしながら、やっとドルトタワーに這い上がった。快適そうなテラスだな。ロシア人たちは昨日ここまでたどり着いたのだろうか?しばらく順番待ちで休憩した後、すぐ上に見えるエルキャップタワー目指して再び登り始めた。すぐ上に見えたと思ったが、ロープはしっかり50m近く伸びる。やっぱヨセミテはスケールが違うなー。しかもおんなじサイズのクラックが、これでもかという感じでずっと続いていく。同じサイズのカムもそんなに持ってないので、仕方なくセットしたカムをずらしながらの登攀だ。自然とランナウトしてしまう。ルートも壁の弱点をぬって登っているため、コーナーも多い。しかし僕はコーナーが苦手だ・・・。体の両サイドに吊るしたギアも引っかかったりと、小さなプレッシャーやらストレスを抱えながら、ひたすら上がっていく。ビレイポイントにたどり着いたら、今度は荷揚げだ。出来るだけ長いストロークでロープを引けるようにセルフビレイの長さを調整し、自分の体重を利用して全身で引っ張り上げていく。かなりの重労働だ。その間フォローは、フィックスされたメインロープをユマーリングしながらクラックにセットされたギアを回収していく。カムが奥に入り込んでしまい、回収しづらかったり、トラバースでは、ちょっとしたロープ操作が必要で、こちらもなかなか大変だ。
 それでも今日は、日のあるうちにエルキャップタワーまでたどり着くことが出来た。ここは今登攀中最も快適なビバークポイントだったのだが、最初レッジにたどり着いた時には、なんとも狭いテラスのように見えて、がっかりしてしまった。幅は6メートルくらいあり、充分なのだが、奥行きが1メートル50センチほどしかなく、壁を背にしてすわると、足が飛び出しそうになる・・・。こりゃあ、セルフビレイ必至だな。アンカーポイントをロープでつなぎ合わせ、壁に横にフィックスを張り、セルフビレイをとった。そうこうしていると、先行していたアメリカ人のパーティーが、1ピッチフィックスして降りてきた。リードしたという彼は、「このピッチのチムニーは、ランナウトして怖かったぜー」と、身振り手振りで教えてくれた。んー、あした俺がリードするんだよなー・・・。
 ここまでで14ピッチこなして来た。エルキャップタワーは、壁の半分弱のところにあり、展望もすばらしい。エルキャピタンのほぼ全景を望むことが出来、その大きさや形、ルートも手に取るように分かる。全ての謎がここで解けたかのような気分になった。下を覗くと、エルキャップメドーがかなり下になって見える。道を走る車もだいぶ小さくなってきた。しかし、上に聳えるヘッドウォールも果てしなく続いている。まだまだ先の見えない今回のクライミングに、プレシャーも高まっていくばかりだった。
10月5日
 今日は今登攀の最大の正念場。なんと言っても、テキサスフレーク(例のチムニー)から始まり、ブーツフレーク、そしてキングスイングと続く。これで驚いちゃいけない。後半は、キャンプ4を通り越し、そして今ルート中の最大のヤマ場、グレートルーフが待ち構えている。ルート中最高グレードのC2Fの付いたピッチだ。ここを乗り越えなければ、今日のビバークサイトであるキャンプ5にはたどり着けない。と、いうことは、今回のノーズ完登が難しくなるということだ。いやがおうにも気合が入る。まずはテキサスフレーク。僕がリードだ。少々天気が気になるが、集中して取り付く。実は昨夜半にあられに見舞われ、ツエルトを引っかぶって凌いだのだが、今は時より日の光も覗いている。しかし今日は寒い!白い息を切らしてのチムニー登攀になった。実はここ、むかし僕がまだ新人だった頃、ビデオで見たノーズ(キングスイングやハーケンをスプーン代わりに缶詰を食っていいる有名な作品!)のワンシーンに出ていて、密かに僕の中では憧れのピッチだった。そこを今、僕が実際に登っているなんて!ただ、今は中間にボルトが1本打たれていて、そんなに緊張はしなかったのだが・・・。それにしてもエルキャップタワーで一緒だったアメリカ人達は、動かないなー。登らないつもりなのかなー
 こうしてテキサスフレークを難なく越え、次のブーツフレークは棚橋さんのリード。途中ナッツのセットに手間取っていたが、ここも難なく通過。そしていよいよ17ピッチ目、僕のリードでキングスイングに入った。まずはブーツフレークの上からロワーダウンで下ろしてもらう。棚橋さんが「フレークの下端からから20フィート下がベストらしいよ!」と声をかけてくる。「20フィートって、いくつですか??」「んーーー、60cmぐらい!!」「じゃ、この辺でとめてくださーい」寒さで体がぶるぶる震えるなか、そんなやり取りでロープにぶら下がった。上からは15メートルは下がっただろうか。そして思い切って左右に振りはじめた。左のカンテの向こうにビレイポイントがあるはずだ。思いっきり体を振り、左手をめ一杯伸ばす。ところがカンテには触れるものの手がかりが無い!すると今度は反動で、ものすごい勢いで反対側に引き戻される。まるで壁に激突するかのような勢いだ!!白い息を切らせ、何度か繰り返すが、一向にカンテを捉えることが出来ない。こんなのムリだよーーー。そんな悲壮な雰囲気に追い討ちをかけるように、雪が舞い始めた。それはあられに代わり、やがて吹雪になって吹き付けてきた。「杉ちゃーーん、これじゃムリだーー、一度上がってきて避難しよう!」棚橋さんの声でブーツフレークまで登り返し、フレークの上でツエルトをかぶり、膝を抱えて待機の状態に入った。
 時折ツエルトの端から顔を出し、外を伺うが、吹雪は一向に収まる気配は無く、更に激しく吹きつけてくるばかりだ。まさしく吹きつけてくるというより、下からも舞い上がってくるという感じで、壁に叩きつけられたあられは、そのままさらさらと壁を伝い、落ちていく。なすすべの無い我々は、さらさら落ちるそれを見て“あられかー” “この激しさからいって、寒冷前線の通過かなー” “カミナリとか落ちるかなー” “こんなところでカミナリにあったら、ひとたまりも無いなー!?”と、推測し、それはやがて妄想へと発展し、しまいにその妄想は恐怖へと変わった・・・。“やベーなー”それに狭いフレークの上に座り続けていることも苦痛になってきた。もう我々には選択の余地はない。下に下りたからといって、カミナリから逃れることは出来ないが、ここよりはましだ!荷物をまとめ、懐かしいエルキャップタワーめざし下降していった。
 あああ、今日もここかー、いよいよ今回の登攀が難しくなってきたなー。結局カミナリこそは落ちずに済んだが、我々の前途は暗雲立ち込めたままであった・・・・・。
                 
    スタッフバックに落ちてきたあられ         今日もエルキャップタワーかー          遥かヘッドウォールを望む

10月6日
 いよいよ追い詰められてしまった。昨日1日停滞だったため、今日キャンプ5までたどり着けなければ、敗退決定。そこから長い長い懸垂下降で降りることになるのだ。しかしキングスイングはどうする?みんなどうやって越えているんだろう?そんな不安を抱えてのスタートになった。まずは昨日のブーツフレークまでフィックスをユマーリングで上がる。例のアメリカ人たちは今日もスロースタートだ。僕らがユマーリングする頃、まだシュラフに入ったままだ。しかも、僕らに水を分けてくれるという。1日停滞しているだけに、とてもありがたくその水をもらうことにした。「Good luck !」彼らの声に送り出され、フィックスを上がっていった。そしてブーツフレークに到着。荷物の整理と、ロープの準備を整え、再度棚橋さんにロワーダウンでおろしてもらう。壁はもうすっかり乾いていた。これなら大丈夫だな。実は昨日ド吹雪の中で、打開策をひとつ見つけていた。ひとすじの光は見えていたのだ。まずはそれをためしてみるか。昨日とは違い、小さく振って、カンテの手前にある小さなカチホールド目指して手を伸ばしていく。それは難なく取れた。問題はこの後どうや手カンテを乗り越すかだ。左手はカチを持ったままだから離せない。仕方なく右手を伸ばすが、カンテの縁には何も無い。手探り状態の時バランスが崩れ、カチホールドを離してしまった。体は反対方向に向って思いっきりぶっ飛んでいく!!こんなこと何回もやってたら足の骨折っちまうぜ!よし、もう一回。また小さく振り、カチを取る。右手でカンテの縁を探る。もう必死だ。ここで敗退してたまるかー!そしてそこには神の贈り物が!?、ん、これか??クソッたれー、バカにすんじゃねー、ギリギリのバランスでカンテを乗越した。すると急に体のバランスが楽になった。カンテの反対側に出たため、振りもどされる力が弱くなったのだ。後はもう必死になって左のクラックめざし、這っていく。左手を伸ばしクラックを掴んだ。やったぜ、クソったれ!!!カムを突っ込みアブミをかけてそれにぶら下がった。その後はカムのかけかえでビレイポイントまで這い上がる。簡単だが、ブーツフレークと同じ高さまで中間支点が取れない。緊張した登攀が続く。結局1個も支点が取れないまま、ビレイポイントに這い上がった。「ビレイ解除!!」ああ、やったぜー。隣のブーツフレークから棚橋さんがガッツポーズを送ってくれた。ところが次のピッチを棚橋さんがリードし、荷揚げのところで僕がアンカーからホールバックを外すと、何か白いものがカランカランと落ちていった。何だ??あ!何と、トイレボトルの底蓋が割れ、中身が今にも落ちそうだ!!(注:中身は専用のビニール袋の中なので、そのものではありません!)キングスイングを無事に終えた安堵感から油断してたぜーーーー。どうする!?今回最大のピンチ!!“そうだ、朝もらった水の入ったペットボトル、水筒に入れ替えたから今はカラだ。サイズ的にもぴったりあいそうだぞ!!”ということで急ぎペットボトルを取り出し、半分に切ってトイレボトルの底にはめてみた。”ピッタシ!!”ああ神様!後はガムテープでぐるぐる巻きにし、何とか補修した。
 その後はアクシデント??にも見舞われず、順調にロープを伸ばし、やがて22ピッチ目グレートルーフの下に来た。ここのグレードはC2F。今までの単純なエイドクライミングより、ちょっと厄介だ。しかもFの意味は、残置の支点が無ければかなり苦労することを意味している。このピッチは棚橋さんの担当だ。緊張した面持ちでルーフへと続くクラックに向っていった。下部は順調にこなしているようだ。やがてクラックは右へ折れ曲がり、ルーフの下をトラバースしていく。どうやら残置支点もそこそこありそうな様子。最後ルーフの右端から更に右のレッジにトラバースするあたりで戸惑っていたが、無事突破した。「ビレイ解除!」棚橋さんの小気味良いコールが響いた!ユマーリングしながらまじまじとグレートルーフのクラックを覗いてみた。下部はフィンガーサイズでフリーなら5.11ぐらい。何とかがんばればいけそうだが、ルーフ下のトラバースは、かなり厳しそうだ。トポには5.13+とある。ヒエー!とまれグレートルーフも突破。次はパンケーキフレークだ。ここは単純にC1のピッチだが、なぜパンケーキフレークなのか、その謎は、ここに着て初めて分かった。それは、パンケーキのように薄く、下手にカムを突っ込んで体重をかけたらパッキッ!と割れてしましそうなフレークが延々と続いているのだ。少々デリケートなクライミングとなった。しかし、この頃には二人ともかなりエイドに体が慣れてきていて、安定してロープを伸ばすことができるようになっていた。慎重にしかし大胆に一歩一歩上がっていく。パンケーキフレークも無事突破。しかしここで既に日没間近。あたりはオレンジ色に染まっている。が、すぐ上には待望のキャンプ5がある。「もう死んでも降りない!」棚橋さんがそう言って次のピッチに取り付いていった。やがて辺りは真っ暗闇に飲み込まれた。しかしこの言葉が、僕にはとても心強く聞こえた。“よし俺も!”後は何とか棚橋さんにがんばってもらうしかない。ロープは暗闇の中かでジリ、ジリ、と上がっていく。寒さで体がぶるぶる震えたが、もう少しの辛抱だ。やがてロープがザーッと上に引き上げられた。“待望のキャンプ5か?”しかし何のコールも無い。“どうした??”じれったい思いを飲み込み、じっと待つ。「ビレイ解除!」棚橋さんのコールはいつ聞いても小気味良い!特に今夜は!!真っ暗闇の中、ユマーリングで上がっていく。たどり着いたキャンプ5は、かなり斜めっていて、居心地は悪そうだが、今晩一晩の辛抱だ。ギアを整理し、ダウンジャケットを着込むと、そそくさとツエルトに潜り込んだ。ひと心地付いてから、いつものようにお湯を沸かすだけの簡単な夕食にとりかかった。昨日から食事も制限つきになってしまったので、なおさら簡単な夕食で済ませた。そして、滑り台のようなテラスの上でシュラフに潜り込む。もちろんセルフビレイつきで!しかし横になるとすぐにイチコロ!!素敵な夢を見るまでに5分とかからなかった。(棚橋さん談)

10月7日
 さあ残すところあと7ピッチ。僕らは既にヘッドウォールの真っ只中、最後の巨大なコーナーの中にいた。そして周りに見えるものもだいぶ低くなってきた。対岸に聳えるミドル・カシードラルも、その頂上こそはまだ見えないものの、かなり上まで見えている。このヨセミテ渓谷の全貌も徐々に見渡せるようになってきていた。こんなに高くまで来てていたんだなー。もしかしたら、今日中に下のキャンプ4(注:ビバークポイントではなくキャンプ場のキャンプ4)まで降りられるのでは・・・。そんな思いでスタートした。25ピッチ目、26ピッチ目と順著にこなし、いよいよ本日のメインイベント、チェンジング・コーナーにきた。僕の担当で、ここは南裏さんも、「難しいかもなー」といっていたところだ。しかも50メートル丸々あるピッチだ。少し多めにギアを持つと、取り付いていった。行ってみると結構複雑な形で、左右両方にクラックが走っている。しかも見事に同じサイズだ。カムのかけかえで15メートルほど上がると、そのクラックは無くなり、右のフェースに出る。ボルト2本分アブミのかけかえで上がり、ここから更に右のコーナーに移っていくが、覗き込んだ瞬間絶望が走った。「これかよーーー」思わず声に出してしまった。そこにはマイクロナッツサイズのヘアラインクラックが走っているだけだった。エイリアンも、キャメロットC3も入らないな・・・・。マイクロナッツの1番をクラックにはめ込み、ためしに下に引いてみた。簡単に抜けた・・・。“げ、どうすれば良いんだよ。”仮に落ちても、下のボルトで止まってくれるだろうが、フォールしたかーねえなー。しばらく躊躇したが、行くしかない。選択の余地はないのだ。「頼みまーす」下の棚橋さんに声をかけ、さっきのクラックにもう一度同じナッツをはめ込んだ。今度は決まったようだ。そっと乗り込む。息は上がり、鼓動は激しく打ち付けている。さらに上のクラックにまたマイクロナッツの1番をはめ込む。“頼む、持ちこたえてくれー!”心の中で叫び、静かに静かに乗り込む。その上は少し幅の広いクラックだ。そこには中間サイズのナッツががっちりと利いてくれた!やったー!助かったぜー!更にその上には下からでは見えなかったハンドサイズのクラックが左横に走っており、カムのかけかえで越えることが出来そうだ。しかし苦手なコーナーなので、ぎこちなくなったしまった。それでも何とかビレイポイントに到着。かなり時間を費やしてしまったが、こうしてチェンジングコーナーの激闘は終わった。
 続く28ピッチ目は棚橋さんのリード、チェンジングコーナー上のハングは右からクラック沿いに越えていく。30メートル。すぐにビレイ解除のコールがかかった。次の29ピッチ目は少々厄介だった。10メートルのエイドの後、すべすべの凹をフリーで登り、突き当たったハングをクラック沿いに右に越えていくのだが、最後のハングは残置に乏しく、最後テラスに這い上がるまでは5,10台のフリーになる。しかもランナウト。しかしここまでくると、本当に体がノーズに慣れていて、躊躇することなく、テラスにたどり着けた。頭上には最後の垂壁も見えてきた。いよいよだ、いよいよ来たんだなー。振り返るとミドルカシードラルのピークも低い位置になっていた。あらゆるものが足下になっていく。
 30ピッチ目は短く、あっという間に終わった。棚橋さんが、「最後のボルトラダーがはっきりと見えるよー」といっている。僕も早々にユマーリングで上がっていく。そして頭上には終了点へと続くボルトラダーが続いていた。まるで天国への階段だな。時計を見ると5時をまわっていた。下まで下りるのはちょっときわどい時間だ。今夜は下での乾杯はお預けだな・・・。とにかく今は無事に登攀を終了することが第一だ。ありったけのアルパインクイックドローを身に付けると、「僭越ながら、最終ピッチはこの私が勤めさせていただきます。」と言い残し、最終ピッチへと乗り出していった。ないてもワラってもこのピッチで全てが終わる。一手一手噛みしめながらアブミをかけかえて登っていった。しかし不思議と感動もこみ上げてくるものもなかった。ただ淡々とボルトラダーをこなしているだけだ。最後垂壁を右から巻いて、いよいよ終了点が見えてきた。屈曲したルート取りなので、かなりロープが重い。最後はロープを左手で引き上げながらスラブをフリーでこなし、ビレイポイントへたどり着いた。ボルトにカラビナを掛け、スリングを通してアンカーポイントを作った。そしてメインロープをアンカーの環付きビナに通し、ひねって更にカラビナに掛け、クローブヒッチをセット。環付きビナのネジが閉まっていることを確認し、下で待っている棚橋さんに向って叫んだ。「ビレーイ、カイジョーー。」そして日本で待っている妻にも叫んだ。「やったぜ、ちっかーーーー!!」
 下からの返事は案外近くに聞こえた。ロープを引き上げ、メインロープをフィックス。「フィックスOK!ユマールどうぞー!」更に荷揚げロープを手繰り上げ、最後の荷揚に入った。ホールバックもさすがにここまで来ると、水も食料も無いので、簡単に引きあがってくる。5日前はあんなに重かったのに・・・。程なく棚橋さんも上がってきた。そしてがっちり握手。「お疲れ様でした!有難うございました!」お互いに労をねぎらった。まだ日はあったが、もう30分もすれば暮れてしまうだろう。ムリして下って怪我をするのもいやなので、もう1泊頂上で過ごすことに決めた。そしてこの日の夜は満点の星空の下、久々にストレスの無い、セルフビレイの必要も無い、安眠できる夜になった。
   
           激闘の末よれよれの姿で・・・                         夕暮れのヨセミテ峡谷
10月8日
 エルキャピタンのピークでの一夜が明け、いよいよ今日は下山だ。エルキャピタンの頂上がどのようなものか、どうしても気になり、早朝一人で行ってみた。ざらざらの粗い砂と、花崗岩のスラブを辿ると、そこはだだっ広い丘のような頂上だった。ピークと思しきところには、ケルンがつんであった。そこに僕もひとつ小石を乗せると、ピークを後にした。
 “それにしてもずいぶんと長いこと壁の中にいたもんだなー。” “1日停滞があったにせよ、ちょっと長すぎたな・・・。”そんなことを思いながら帰り支度を始める。膨大な量のギアとロープを背負い下ろすのだから、パッキングも大変である。「まさか、下では僕らが降りてこないので、大騒ぎになっかなってないだろうなー!?」冗談交じりに言ったのだが、実はこれが的中していた・・・。重いホールバックに振られ、よろよろ、よろよろと途中フィックスの懸垂下降を交えながらイーストレッジを下降し、マニュアパイル・バットレスの駐車場に程なく到着というところで、「おおーーい!!」という声が聞こえていた。なんと、南裏さんが心配してここまで迎えに来てくれていたのだった。「おい!だいじょうぶか!」「怪我してないか!」矢継ぎ早の質問だ。南裏さんの他、キャンプ4にいる日本人クライマーも、何人か心配して来てくれていた。話を聞くと、やはり下では騒ぎになっていたらしく、毎晩誰かがエルキャップメドーまで見に来てくれていたらしい。「あいつら二人はプロのガイドだし、4日経っても降りてこないのはおかしい。何かあったのではないか?」ということだった。この話を聞いたとたん、それまでの完登したという喜びも、満足感も全てが吹き飛んでしまった。そしてその代わりに、申し訳ない気持ちで一杯になってしまった・・・。確かに悪天で1日停滞はしたが、僕ら自身の登攀スピードはお世辞にも早いとはいえなかった。その結果、キャンプ4にいた日本人の皆さんに、いらぬ心配を掛けてしまった。みんなクライミングを楽しみに来ているというのに・・・。下ではこんなに大騒ぎになっているなんて・・・。
 とりあえずキャンプ4まで戻り、可能な限り、皆さんにあやまって廻った。そして最後に一番心配をかけてしまった南裏さんにお詫びを言うと、こんな言葉を掛けてくれた。
 「ここは壁といっても他と違い、みんなが見ている。そういう公共性のある場所だ。しかも自分らはプロのガイドなんだ。皆そういう眼で見ている。それだから、プロのガイドなんだという自覚を持ってクライミングをしなければあかん。」
 「かりに吹雪にあったとしても、6日間は長すぎる。4日で抜けてこなければあかん。」
 最初はしゅんとしてしまったが、どれもこれも至極当然のことだと思った。確かに今回の僕らには、プロのガイドであるという意識が無かった。ほんと甘かったなーと思った・・・。
 とりあえずお詫びもひと段落したので、テントサイトの片付けを始めた。僕らのキャンプ4滞在の期限は今日の10時までだ。いそいで片付けるが、なかなかはかどらない。しかも気分は重いままだ。何とか荷物をまとめ、車に積み込んだ。その後、カリービレッジまで行って、シャワーを浴びた。6日間の垢を落とすと、少し気分が楽になってきた。そして遅めの昼食を摂り、もう一度エルキャピタンを見に行くことにした。
 エルキャップメドーまで車をとばし、広場まで行くと、振り返って壁を見上げてみた。“何だかすこし壁が小さく見えるな。一度登ったことで壁のスケールが分かったからかな。”そんな想いでまじまじと壁を、そしてノーズを仰ぎ見た。“登ったんだなー。本当に。皆には迷惑掛けちゃったけど・・・”また再び喜びがじわじわとにじんできた。
 また今日もこの壁にはクライマーが取り付いている。ノーズにも、そして他のルートにも。そして皆がんばって登っている。僕らが昨日までそうしてきたように・・・・。もうすぐ夕暮れだ。後ろ髪惹かれるような思いで僕らはその場をはなれた。そしてもう一度キャンプ4まで戻り、心配を掛けた皆さんにお礼を言うと、ヨセミテを離れたのだった。

 こうして僕らのノーズ登攀は終わりを告げた。今回いろいろあったが、本当にいろいろあったが、やっぱり登ってよかったと思う。決して完成形ではなく、あくまでもこれが始まりだ。エルキャピタンには、そしてヨセミテには、まだまだ心躍るようなクライミングシーンが待っている。今回はほろ苦い経験だったが、きっと今後につながるいい体験だったことには間違いない。反省するべきところはしっかり反省し、そして、何よりも今回の遠征で気づくことが出来たハートの部分、スピリットを大切にし、次回に臨んでいきたい。
                                   終わり

                               ページトップに戻る